こんにちは。
大阪市北区の天満・天六
お尻専門ダイエットスタジオ【Training Studio Ripple】
パーソナルトレーナーの末永です。
今回は僕の自己紹介、特にトレーナーになろうと思ったキッカケをお話ししていきます。
末永 敦之(すえなが あつし)
1985年2月23日生まれ 岡山県岡山市出身
バスケとお酒とお肉をこよなく愛しています(笑)
【2007年3月】
関西大学 工学部 化学工学科 卒業
【2007年4月~2011年2月】
某食品メーカー 営業
【2011年3月】
ヒューマンアカデミー 東京校
スポーツトレーナー養成講座 基礎コース 修了
【2012年3月】
ヒューマンアカデミー 大阪校
スポーツトレーナー養成講座 実践コース 修了
【2011年5月~2013年6月】
大手フィットネスクラブ ジムインストラクター
【2012年7月~2014年1月】
加圧スタジオ コンディショニングトレーナー
【2013年7月~2017年8月】
フリーランス パーソナルトレーナー
(契約店舗:ティップネス 梅田店・塚口店、エニタム梅田東店)
【2017年9月~】
Training Studio Rippleを大阪市北区にオープン
僕は高校までは岡山県に住んでいて、毎朝40分くらいかけてチャリで高校まで通っていました。
まぁまぁな田舎に住んでいました。
関西に出てきたのは、大学からで
初めて梅田の街を歩いたときは、一緒に来てた岡山の友達と
「やべー。大阪ぼっけー都会じゃな。やっていけるか不安じゃわー。」
とか言ってて、ほんとに田舎っ子丸出しでした(笑)
そんな僕は、実は理系だったんです。
得意科目は、数学と理科でした(笑)
大学も関西大学の工学部化学工学科というところに在籍してました。
4回生になると研究室に配属されるのですが
(確か、名前は資源・エネルギー何ちゃだったような…)
僕の研究のテーマは、『籾殻からのシリカの抽出』でした。
聞いただけで、頭が痛くなりそうですね。
そんな研究を1年間、大学院生の方と二人三脚で行っていました。
白衣に保護メガネをして、本当にみんなが思っているような研究室でこの実験ばかりやっていました。
そして、その院生の方がぶっ飛んでいて、凄まじかったんです。
(ダメダメすぎてヤバかった…。)
遅刻なんて当たり前、僕に実験を任せて帰るなんてことも。
面白かったのは、夕方から雨が降った日
実験中だったんですけど、「ごめん、布団干しっぱなしだから帰るわ!」
と言って、帰ってしまいました。
極めつけは、修士論文に僕の卒業論文がまるパクりされたり…
そんな感じのぶっ飛んだ院生の方と、毎日実験をしていました。
僕は理系だったのに、サラリーマン時代は技術職ではなく営業をしていました。
研究室の教授も、僕は大学院に進むものばかりだと思っていて、僕が営業として就職する旨を伝えると、ビックリされていました。
自慢じゃないですけど、期待されてたんですよ(笑)
前置きが長くなりましたが
社会人4年目の時に脱サラしたんですけど、よく聞かれます「何でトレーナーをしようと思ったの?」と。
就活が始まる前からずっと、僕は自分のやりたいことが見つかりませんでした。
考えても、考えても見つからず…
バンド活動をしていたので、音楽で食べていこうか
またまた、お酒も大好きだったのでビールバーでもおもしろそうだな
とか
本気で悩みました。
親にも、二十歳くらいの頃「俺、音楽で食っていくわ。」なんて
困らせたりもしました。
なぜか、サラリーマンだけは嫌だった。
みんなと同じが嫌だったんです。
僕自身、何の取り柄もない普通の人だったから、『普通=みんなと同じ』が嫌だったんです。
だから、ピアスを開けてみたり
髪の毛をすごいことにしてみたり
髭を生やしてみたり
敢えて、イカツクしてみたり
それが、僕が思い付く『みんなと同じじゃない』ことでした。
でも結局、就活の流れに乗りサラリーマンに。
実際、3年か4年で辞めるつもりでいました。
ずっと考えていたんです、自分って何がやりたいんだろうって。
その答えが、東京に異動になった4年目の夏に出たんです。
自分でもビックリするくらい、いきなり『あっ!これだ!』みたいな。
僕はずっとバスケをしてきたので、体を動かすのは好きでした。
筋トレも好きで、自宅でよくしてました。
当時の彼女に、筋トレしたいから家に帰りたいと言ったら、めちゃくちゃ怒られた記憶があります(笑)
一番激しかったころは、自宅で筋トレしてからビリーズブートキャンプして、その後外に1時間くらい走りに行ってました。
当時、ビリーズブートキャンプが流行ってた頃で、めちゃくちゃやった記憶があります。
また、新入社員研修が東京で約1ヶ月あって、その時ウィークリーマンションに住んでいたんですけど
そこに岡山の実家からダンベル持って行ってました(笑)
頭おかしいですよね。
何で、こんなことしてたのか?
太るのが恐かったからです。
体に対してめちゃくちゃコンプレックスがあって
太ることに対してすごい恐怖心があって
太らないようにいろんなことをしていました。
ターザンや筋トレの本とか、ダイエットの本とかもたくさん読みましたし、ネットでもこれでもかというくらい筋トレの方法やダイエットのことなど調べました。
意味分からない食事とかしていた時期もありました。
お腹が空いたら、0キロカロリーの物を食べまくったり
主食は抜くけど、甘い物は食べたり
揚げ物の衣を全部はがして食べたり
焼肉の肉の油を、紙に吸わせてから食べたり
よく分からんサプリメントを大量に摂ったり
ヘルシアを大量に飲んでみたり
たーくさん、変なことをしました。
体重計にも毎日何回も乗りました。
写真もパシャパシャ撮って確認してました。
最初は結果が出るんですよね。
それが嬉しくてもっと激しいことをしてしまう。
そして、結果が出て来なくなれば落ち込み、また変なことをしてしまう…
そんなことを周りには言いたくなかったし、知られたくなかったですね。
そんな過去があったし、バスケでも捻挫や膝痛、脱臼やら肋骨や腰骨の骨折などなど
色んな怪我をしていたこともあって
バスケをやりたくてもできない
また、バスケできるけど痛くて思いっ切りできない
何て経験を数え切れないくらいしました。
そんな僕みたいに思っている人や、身体のことで悩んでる人の力になれたらなぁ
という思いがいきなり湧き出てきて、『あっ!これだ!』みたいな感じになりました。
それがキッカケです。
そこからは情報収集です。
僕のやりたいことをするためには、パーソナルトレーナーが一番近いな。
じゃあ、パーソナルトレーナーになるためにはどうすればいいんだろう?
そんなことを、仕事中に考えながら
パーソナルトレーナーを目指せる専門学校に片っ端から電話を掛けたり、資料請求したりしました。
そして、1校だけ親身になって話しを聞いてくれるところがあったので、そこに見学に行くことになりました。
当日、色々説明を聞いていると
そこは大阪校もあるらしく、大阪に戻ってからも通うことができると。
実は、この時既に結婚することが決まっており
自分の中では、大阪に戻る予定だったんです。
まだ、この時は嫁に仕事を辞めることもパーソナルトレーナーになることも言ってませんでした…
全てが決まった後、キチンと話しました。
遅いですよね(笑)
話しは戻って
取り敢えず話しだけ聞いてみて、よかったら通おうと思ってたんですけど
秋から始まるコースの締め切り日が、次の日とのことで
その場で申し込みをしました(笑)
そこからは、仕事に学校にプライベートにと
今振り返っても、僕の人生の中で一番濃い半年間を過ごしました。
その濃い半年間があるからこそ、今があるんだなって感じてます。
そして、パーソナルトレーナーの資格を取り、仕事も辞めて、大阪に戻ってきました。
結婚式を挙げた後は、フィットネスクラブのスタッフとして働きながら
1年間、専門学校に通ってました。
このフィットネスクラブから、僕のトレーナーとしての人生がスタートしたんです。
その後について興味があれば、続きのトレーナー紹介【ハジマリ】をご覧になってください。
長くなりましたが最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Training Studio Ripple 末永敦之
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